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この石上神社は休憩所のある広場が心地よい。山辺の道を歩く人を意識した貼り紙なども多くある。そして、放し飼いされている鶏も人を恐れず闊歩している。周囲は深く、涼しげな木立。
――これを、古代を感じさせる雰囲気、というのかどうかは良く分からない。もし、これが昔から変わらない光景であるのなら……さもありなん。
ただ、100m離れるとふつうの住宅地が広がっているのも事実。
ここ周囲一帯が亜空間となっていて現代から切り離されているのだ、そう想像してみるのも悪くは無いけれど……周りの参拝客も、みな現代人の衣服、現代人の喋り。なかなか、タイムトリップは難しい。
――あずま屋のベンチに腰掛けて今後の作戦を練る。時間はPM0:31、朝のコース探しでの時間ロスが、結構、大きなダメージとなっている。なにしろ12月も下旬だ、日没も早ければ気温の低下も早い。もしまた連絡路のような道があれば走り抜けることも考えておくか……。
南に抜ける参道に入る。いよいよ山の辺の道、本番だ。
池の脇の道を経て車道に出る。そして、本日じつに3つ目の国道25号線をくぐる。
芭蕉句碑を見て左折。
溜池を回り込む途中に永久寺跡がある。どれだけ絢爛な寺であったか、という説明板が立つ。あとは何も無い。背後の池では釣り人が一人、糸を垂らしているのが物寂しい。
再び車道。下り基調。坂の途中には公衆トイレがある。
矢印が紛らわしい三叉路で右折すると、どこからか応援の歓声が聞こえてきた。右に見える天理親里球技場からだ。けっこう、かしましい。
盆地側へ250mほど下って左折の道標を捉え、今度は農道に入っていく。現れるのは……
夜都伎神社。拝殿が藁葺なのは珍しいらしい。
そして、ここからは山裾を南にまっすぐ辿っていく古道歩きだ。真っ直ぐ、と言っても細かい屈折はあるようだけれど。
一瞬、古い家の立ち並ぶ集落に入るけれど、すぐに抜ける。
集落の端には、この道を歩く人をターゲットとした、無人野菜販売所などもある。
さらに進むと5分ほど竹之内集落分岐の十字路に当たった。せっかくなので、環濠で有名な集落に立ち寄ってみようかと、山の方角へ向かう坂を上る。
濠で囲われた環濠集落。
――と言っても、今では町の濠はほとんど埋め立てられていて、跡形も無かった。町の入り口に立つ環濠集落説明板でも、濠は埋め立てて公園にした云々。ただ、ここから少し北、100mほど濠を残しているというのだけど、そこまで見に行くか……。
公園では子供たちが遊んでいた。それを見て、ふたたびコースに戻ることにした。
コースに復帰して、畑の中の道を淡々と歩く。萱生の集落では多少道が細かくなる。
コースを少し外れて衾田陵を見に行く。全長234mの前方後円墳ということで、でかい。教科書なんかでは見慣れていたので忘れていたけれど、そういえば巨大古墳を見るのは初めてかも知れない……。
まあ、でもあれだ。横から見たらただの丘。お墓だと言われても手を合わせる対象には、なかなかならない。
コースをさらに辿ると、次は燈籠山古墳。面白いことに、その古墳の上にある墓地を道は抜けていく。そもそも、古墳自体が墓地なので、墓地の上に墓地を作ってしまったということになる? ひょっとして、バチ当たりなんじゃ……。
その墓地を抜けて念仏寺へ。
それにしても、このコースを歩く人の姿が多い。石上神社より南、一気に増えた感がある。進む方向の割合としては、北進、南進、同じくらい。ただ、だいたいが一人か二人歩きで、団体ツアーは一組しか見ていない。いや、12月下旬というこの世事に忙しい時期にしては多い、と見るべきかも知れない……。
石畳の道の途中には石仏群と、公衆トイレがあった。――そう言えばトイレも多い。道標も、指呼の間に、というのが大げさではないくらいに立っている。10分以上道標が現れないと道間違えたのでは?と不安になるくらい。そういうものが全て、歩くのに良い季節には、この道が人で溢れるであろうことを感じさせる。(……本当だろうか?)
柿本人麻呂歌碑は田園風景の中。
このあたり、けっこう古道としてそれっぽいところだと思う。ただ、奈良盆地を一緒に見てしまうと街も見えてしまい、没入感が得られなくなるので向く方角には気をつける必要がある(笑)
もっとも、今日は曇天と寒空のせいで景色はイマイチ。
さらに進むと長岳寺の山門が現れる。くぐって、5分ほど進むと長岳寺。
ところが「入山料三百円」という貼り紙を見て泣く泣くUターン。良心的な料金だと思うけれど、さすがに5分間の滞在で300円は高い……。
晴れていたらまた考え方は変わるのだけれど。まあ、次の機会を待つことにしよう。
山門まで戻る。
ここには東海自然歩道の案内板がある。公衆トイレもあり、東海自然歩道トレイルセンターの建物もある。
――そう、東海自然歩道トレイルセンター。新しくて、きれいな建物。「ご自由にお入りください」の立て札。これは外せない。
外せないが……スルー。いや、時間が本格的に無くなってきたのだ。
トレイルセンターを後に、やや東へ向かう。石畳を上って崇神天皇陵の後方に回り込む。――今度の古墳もでかい。明らかに人工的な濠も取り巻いているので、より遺跡っぽい。
でも、前方後円墳の頭(実際はお尻)を眺めても10秒で飽きる。記念写真を撮ったとしても、「古墳です」という注釈書きが必要になるだろうし。
崇神天皇陵と櫛山古墳の間の道に進む。ちょっとした高台だ。
車道が東に曲がり始めたところで右手の細道に入る。下って休憩所。体を休めている人が大勢――山ならいざ知らず、あまり平地では見ないような光景だ。
パスして進むと、次に「卑弥呼庵」という看板の建屋が現われた。何かと思ったら喫茶店。このあたりは「卑弥呼の里」なのだという――もちろん、考古学的には未確定。
もっとも、それを言ってしまうと、先の崇神天皇陵に、次の景行天皇陵も埋葬者が考古学的に確定しているわけでは無い。ただ、そう伝わっているというだけのもの。古墳時代にまで年代が空くと、そういうものばかりになってしまう。
――そこにこそ、"大和ロマン"というものが生まれるのかも知れないけれど。
さらに南に向かうと、その伝・景行天皇陵の周遊路となった。ほとんど池付きの公園の散策路にしか思えない。そして前方に、神聖なる山・三輪山の山体も見えてきた。
桜井市に入る。コースも古道の面影が無くなり、時たま車の往来する車道歩きとなる。
まっすぐ行けば相撲神社、というところ道を道標に従い右折、集落の中へ。
県道50号線に出て、左折。三輪山の山腹を巻く道を眺めながら東に進む。ショートカットが欲しいところだけど、このコース採りは古道に倣っているのだろうか、などと思いつつ。
鋭角に右折すると、いよいよ三輪山の巻き道に入る。砂利道だけれど、広くて歩きやすい。ただ、ここに来て人の姿が見えない。どこに消えたのだろう?
だんだんと奈良盆地への展望が開けていく。盆地のごく一部を日が照らしている。
「大和の青垣」説明板を過ぎ、三気大神神社に到着。トイレに、コース案内板もある。
すぐに桧原神社。鳥居だけしかない神社――ここに何人か参拝客。これで神社として成立するのだから、さすがは三輪山と言ったところか。
そして、自然の多い小道を上り下りしていく。玄賓庵も、うっかりすると気付かず通り過ぎてしまうようなところにある――その玄賓庵も、門から中をチラ見しただけで通過。
しばし、道の雰囲気を楽しみながら歩く。駆け足で通り過ぎてしまうと勿体無いような道。しかもここにきて、時折日が差すようになってきた。
今日は朝のうちだけ晴れて、あとは曇りという天候。でも、途中の弘仁寺では雲が割れて日が差した。石上神社でも、そこを離れるまでは日が照っていてくれた。
そして大神神社でも……日の恵みがあるのだろうか?
いかにも参道っぽい雰囲気になってきた。そして現われたのは池。茶屋と、東海自然歩道案内板もある。案内板は総延長1697.2kmと書かれた最近のもの。
十字路に道標があって、直進・大神神社、左折・狭井神社を示している。まずは狭井神社だ。左に市杵島姫神社を見て、参道を進む。階段を上り、鳥居を潜ると狭井神社は深い森の中にあった。冬も午後3時を過ぎると参拝客もほとんどいなくなるようで、ひっそりとした居ずまい。
コースに引き戻る。そして、いよいよ次が大神神社だ。参道を進む。こちらは明らかに参拝客の姿が多い。林間の階段を下っていって……大神神社到着、PM3:23。
広い境内、数人の参拝者。巫女さんが二人、神木に何かを縒り付けている。
――正直言うと、ごく最近まで大神神社という存在を知らなかった。それでも、実際にこの場所にきて、その歴史の深みが感じられるような気がする――あくまで気がするだけ、だけれど。
そして拝殿には夕日の残照が当たっていた。お見事。
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