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PM2:02、美濃国分寺跡。
だだっぴろい広場。見ると、中央に低い石の台がある。
台に上ってみる。そこには柱の礎石が並んでいる――それだけ。
寺社の遺構なんて、たいていこのようなものだ。考古学的関心というものに乏しい自分にとっては、面白みの無い場所。ということで、現代の国分寺に向かう。
国分寺は一転して立派な建物が立ち並んでいた。ただ、こちらの方はちょっと現代過ぎるかも知れない。建物は新しく綺麗で、境内もところ狭しとモノが並んでいる。
――立体感のある空間構成は気に入った。階段を昇っていくと、南方を見晴らせる展望場所に出る。墓地のある高台……ここからは美濃国分寺跡が一望。
南方、東海自然歩道が山麓を走る養老山地も良く見える。
一方、南東側……名古屋市街方面は、もう本当に市街地。住宅が密集している。
美濃国分寺跡は葉桜。やっぱり、このコースのベストシーズン……というかベストウィークは1週間前だったらしい。
今年は、桜の満開×好天気×週末、という難しい同期に失敗して、このコースを歩くのが今日になってしまった。とは言え、サクラの満開の週末には悪天候とか休日出勤とかでズタボロになる年も多いので、今年はまあ、良い方。
――と考えて自分を納得させる。本当はちょっと悔しい。
国分寺前の歴史民族資料館に立ち寄り、道標に従ってさらに東へ向かう。
一瞬、林間の隘路になるけれど、すぐにまた開放的な空間に。本当に今日は山際の平地をなぞるように辿るばかりで、アップダウンはほとんど無い。軽快に歩けるのは確かだけれど、歯ごたえはあまり無いかな……。
ふたたび菜ノ花畑の平面の道を往く。今度は、正面の石灰削り出しの山が目立っている。理由は何であれ、山が削られるのは悲しい……と、伊吹山を見た時にも思った。
道は何度か方角を変える。途中、犬に進路を塞がれていたりもしたけど、必死にクリア!(うそ)
やがて大谷川沿いの道となり、方角は北に安定した。
そして、目の前に現われた東海道本線を潜り返す。これで今日、潜ったのは4度、跨いだのは1度という5回もの交差だ。
――でもこれが最後と思うと、そんなうっとうしい奴でも名残惜しい。(うそ)
潜り抜けると、雰囲気が変わったように感じる。都市部が背後になって、正面には田園風景。目指すべき小集落は小さく見えているけれど、風景は緑。“黄色”がそこかしこに散らばっている。
しばらく、大谷川沿いの半舗装道を歩く。
途中、円願寺跡の石碑と解説板。その先、山際に岩崎神社。
サクラに誘われて岩崎神社に立ち寄る。木陰が落ちていて休むには良い場所。ただ、円興寺がもう直ぐだ。コースに引き戻る。
ほどなく円興寺の集落。入ると直ぐに円興寺の入口があった。コース案内図と解説板も立っている。
PM2:49、円興寺に到着。
もう午後もだいぶ深まっているので、山の東山麓にある円興寺の境内は翳ってしまっている。それでも、気分が休まる場所だ。
また、ここには『青少年憩いの森遊歩道』なる案内図も立っている。海抜60mの本地点から、海抜98mの展望台まで「おうれん群生地」を通り抜けていく小道があるらしい。一方、向かいの山麓にも遊歩道が伸びていて、こちらは展望台が海抜178mにあるとある。
しばし思案――止めておこう。見えるものはだいたい想像がつく。今日はこの後にも濃尾平野展望の道が控えていることでもあるし。
円興寺を後にする。峠を目指して、引き続き北上開始。
静かで雰囲気の良い山あいの車道を行く、それも尽きて、県道241号に合流した。こちらは車の往来もそこそこある。大垣市野外活動センターを左に見て、さらに緩やかに上っていく。
正面に円興寺トンネルが見えた。ただ、その手前に山道への分岐がある。コースは当然、峠を経由……と、いうことで山道に入る。
――山道は、本日2つ目。しかも登りとなっている山道は今日初めてだ。
ここまで6時間歩いているとは言え、平地ばかりで登りの脚はまったく未使用。よってガシガシと登っていく。このあたりで汗をかいておかないと、この先はもう、期待できない。
息を弾ませ、あっけなく円興寺峠に到着。まあ、標高150m余りだし。時刻はPM3:10。
ベンチに腰掛け、息を整える。ちょっと休息だ。
と言っても長居はせず出発、山道を下る。5分ほどで下り切って、円興寺トンネルの出口に下り立つ。うーん、こっちもあっけない。
車道歩き再開。もう、この先は車道しかないことは分かっている。
しばらく広い県道を歩いていくと、開けた場所に出た。池田山を回り込むように進んで、ついに濃尾平野西端に出たのだ。ここはもう、名古屋通勤圏。
ついで、日帰り温泉施設のある交差点に出た。この時間帯は客が多いようで、賑やか。それを尻目に、近く涼雲寺へ向かう。
涼雲寺。誰もいないようだ。
――と思ったら、散歩から帰って来た住職さんとばったり会った。しばし立ち話をする。お寺のパンフも頂いてしまった。
いよいよ池田山東麓の道に入る。ここからは濃尾平野好展望の道だ。
斜面には茶畑が目立つ。濃尾平野まで大した高度差も無いのに、その僅かの勾配を利用して茶畑の畝が下っていく。その先は遠く、田や住宅地。
――眺めながら、ひた歩く。
善南寺通過。
PM3:59、霞間ヶ渓に到着。
――日本の桜名所百選の地。こここそが、ぜひ桜満開の時候に合わせて歩きたかったところ。なのに、4月半ばの今日この日、目立つのは桜の葉ばかり。観光客らしき人影も、ほとんど無い……というか誰もいない。本当にここ、観光地なの?ってくらい。
半月前なら、大勢の花見客で賑わっていただろうに……。それでも、少し時間をとってこの地を探索だ。
山側と谷側――濃尾平野の平面へゆるやかに続く谷側は、沢の脇に桜並木が続くものの完全に葉桜。
で、山側の小道に進む。――思ったより、桜の木の本数は多くない。沢沿いに5分ばかり上ると堰があって、もうおしまい。
いちおう、まだ咲き残っている桜も無いことは無い。暫くそんな生き残りの桜探し。
池田山登山道はむかしは東海自然歩道本コースだったそうだ。ただ、今は道崩壊につき付け替わっている。おかげで、ここから山麓沿いに延々と車道歩きが続くことになる。
そういう付け替え方ばかりしているので、東海自然歩道は車道区間が増える一方なんだよなあ、と文句を付けつつ。
霞間ヶ渓を離れる。結局、滞留時間は20分。
東海自然歩道歩きを再開。北へ。
濃尾平野の向こう、遠く中央アルプスが見えていた。まだ雪を被っている木曽駒~南駒岳の稜線。そのさらに北、木曽御嶽山も雲に隠されながらもなんとか見えていた。一方、恵那山は雲の中。
桜の季節は春霞で遠望の利く日は少ないのだけど、今日はラッキーだ。4月も捨てたものではない。
もちろん、名古屋の都市も良く見えている。
東海自然歩道は日本の三大都市圏を通っている。ここまで大阪・京都の京阪圏、名古屋の中京圏と来たので、あとは東京圏のみ。
――東京は遠い。まだ遙か彼方、という感じしかしない。そもそも、本当に自分は東京まで歩くと腹を決めたのか、自分でも良く分かっていない。とりあえずは今日の目的地まで歩こう……その繰り返しが続いている。
山麓道路を北へ向かってテクテクと歩いていく。
途中、眼上に小寺展望所があった。眼下には安国寺がある。この山麓にはお寺が多い。
アスファルトを淡々と歩く。
――右手、濃尾平野には良く日が当たっているのが見える。ただ、歩いている山麓道路は山の東斜面、日はすでに山影に隠れている。午後もかなり深い時間帯。
禅蔵寺を通過。
願成寺古墳群を通過。
岐阜県最大の古墳群ということで、家族連れ観光客が何組かいた。ただ、景観的には盛土が目立つだけなので、あまり面白くは無い。
PM5:09、大津谷公園に到着。
こちらの桜は満開だ。ただ、残念なことに日が翳っているせいで、地味な佇まい。
それでも、あえて霞間ヶ渓と違う景観を作り出しているのは良いと思った。ザ・公園という感じだ。
――今日の花盛りの季節の歩き旅の最後を飾ってくれた、と言っておこう。
大津谷を後に、さらに北へ。
濃尾平野もだいぶ北に詰まってきた。そりゃあ、これほど一方向に一直線に(といってもグネグネとした道だけれど)歩いてきたのだから、当たり前だ。自然歩道歩きに慣れると、これほど同じ方向へ進んで大丈夫なのか?とちょっと不安にもなるけれど。
――寺社の多い山麓道路。次の平安寺がその寺社の最後。
道を逸れて参道を上る。
PM5:38、平安寺。
山麓道路の前方に柏川が見えてきた。そこに向かって高度を下げていく。
そして、ついに地表(?)に下り立った。ここはもはや池田「山麓」ではない。
柏川大橋の手前、道標に従って左折。濃尾平野を後に、山あいに入っていく。
……そう、東海自然歩道はこの期に及んで、さらに西へ逆走しようとするのだ。まるで落ち着きの無い子供みたいに。
そんなところがまた可愛い――なんて、ゼッタイ言ってあげないんだからね!(ツンデレ?)
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柏川大橋の直前で方角を西へ転じ、さらに歩く。
――と言っても、本気で西に向かう訳ではない。次のポイントが決めていた今日の終着地。そこまでの歩きだ。ぶっちゃけ、ここまで長々と歩いてきて、最後に戻る方角なんかに進みたくは無い。
じつは、次の鍋倉山コースは踏破済み。そして、柏川大橋より西のこの道も、その時に歩いている。
なので、まだ記憶は残っている。……残っている筈なのに、印象はガラリと変わっている。その時は10月の朝、今は4月の夕方――季節と時間が真逆のせい。
あたりは急速に暗くなろうとしていた。物寂しい雰囲気が周囲に満ちてくる。山奥に向かう方角であるなら、なおさら。
――足に疲労は募っている。でも、もう少しだということは知っている。
PM5:58、蘇生の泉に到着。今日の最終目的地。
別に、蘇生の泉の水を飲んで蘇えろう、と思っていたわけではない。そもそも、ここの生水はそのままでは飲用不可。
なにはともあれ、池田山麓を巡る今日の旅、これにて終了。
来た道を引き返し、柏川大橋へ戻る。
――そのまま柏川大橋を袂を通過、東海自然歩道を離れて、柏川の右岸を歩きだす。じつは、帰る道筋は決めていなかったのだけれど、疲労が濃いので選択は最短距離。最短方向川の流れる方向――駅のある方向へ。
途中、黒田橋で左岸に渡り、さらに左岸の川岸遊歩道に下りる。柏川の流れは大きく、緩やか。漣の音が夕闇に沈んでいる。
川岸遊歩道を歩く。さすがに4月、気温が下がってきた。水辺ということもあるのだろう、肌寒い。
それを打ち消すように、足早に歩いていく。散歩するには遅すぎる時間帯なので、人っ子ひとり会わない。
思ったよりも道が遠く感じる。暗さで足許が見辛くなってきた頃、前方の脛永橋がようやく大きくなってきた。
脛永橋に上る。
国道417号は交通量が多く、騒がしい。ここまで静寂の道だっただけに、町に戻ってきたことを強く感じる。
ここからは国道を南進だ。駅はそう遠くない。脛永橋を渡る――揖斐川町から池田町へ。
PM6:56、近鉄揖斐駅に到着。改札を潜る。始発駅なので、大垣行き列車はすでにホームに待機していた。
乗り込む。車内に、他に乗客は見当たらなかった。