←前のコースへ戻る |
![]() |
鞍馬寺。
鞍馬天狗が義経を修行したところ……だと思っているけれど違うかも知れない。境内には鞍馬天狗像が立っていた筈。
ただし、見上げても鞍馬寺の建物群を目にすることは叶わない。遙か上空にあるためだ。その山肌には紅葉も少なく、ここまで立ち寄って来た社寺と比べて質実剛健な印象を受ける。
PM3:03、仁王門の前を通り過ぎる。
府道をさらに奥へ向かう。すぐに右折の道標――少し分かりにくい。
今日は大原まで歩かないといけない。そのために、あと峠を2つ越えるのだけど……日没と競争して、果たして体力が持つかどうか。
もっとも、到着が夜になってもバスは多発と分かっているので気は楽。他の山奥のコースだと「なんとしても間に合わせないと」みたいな悲壮な感じになるのだけどそれはそれ、京都区間の利点。
家の間の狭い路地を抜け、鞍馬川を渡る。ここに東海自然歩道のコース案内板。左に地蔵寺、右に八幡宮を見ながら山道に入り込む。登りが始まった。
――それにしても、峠なのに「坂」とは変な感じ。
背中に浴びる西日に押され西斜面を登っていく。黄葉も緑の葉も黄金色に輝いていた。下りて来る2、3人とすれ違う。散歩のような身なり。
――足の疲労はピーク。それでもペースは緩められない。
峠に到達、そのまま下り始める。東斜面なので一転して暗い。夜泣峠の下山道に比べても輪を掛けて暗く感じる。
下り切って、山間の田園地帯に出た。ダートの道を回りこむように進み、静原集落に入っていく。京都盆地から北に一山隔てた小盆地の里、静原。
高台となった路地を東へ進む。と、道端に座ったおじいさんから声を掛けられた。「オウハラか?」
何を聞かれたのだか、一瞬分からなかった。でも、この道は東海自然歩道だ。きっとこの御老人は、ここを行き来する人たちをずっと見続けて来たのだろう。
と、すると。
「はい、大原へ行きます」「道は知ってるか?」
逆コースを一度歩いたことがある。「はい、知ってます」「そうか」
それで会話は終わった。少し申し訳ない気がしたのは何故だろう。
クランク状に道を曲がり、前方に見えてきたのが静原神社。その鳥居の向こうに燃え上がるような紅葉――
今日はこの紅葉を見ることを目的に遙々やって来た。9時間もの道のりを経て。晩秋の西日が当たる紅葉――ここまで天候を気にし、かつ歩行ペースを落とせなかったのは、この光を逃がさないため。
神社の隣の公園では子供たちとその親が遊んでいた。歓声が静かな境内に響く。京都北山のとりとめの無いワンシーン、なぜか感傷的になる。……確かに、少し疲れたかも知れない。
あとは惰性の歩き、とも言ってられない。体力的にカツカツになってきたからだ。日没との闘いは無くなった分、気は楽になったけれど。
静原神社の前に東海自然歩道コース案内板。大原まで4.9km――1時間半、ってところか。現在の時刻、PM3:38。
再び集落の路地を辿っていく。人の姿は見当たらない。やがて集落が尽き、目の前に再び田園地帯が広がった。左折。
静原川を渡って府道40号に合流。左に曲がって府道歩きとなる。前方には形の良い金毘羅山――もう、残照も消え入りそうだ。日没は近い。
――方角は東。時折、車が走ってくるものの交通量は少ない。静原小学校を過ぎると歩行者スペースも狭くなった。
道標を見て左の側道に入り込む。一車線となり、ほどなく砂利道へと変わる。
府道をトンネルでくぐり、丈高い杉に両脇を囲われながらの上り坂に。路面はいつのまにか地道変わっていた。
――西斜面なのにもう薄暗い。それに、両足が棒のようだ。じつは薬王坂で足は全部使ってしまっていた。静原から江文峠までの高低差は100mあまり……それでも、しんどいという。
山道がほぼ平坦となった、と、思ったら府道に飛び出した。車通りこそ少ないものの、走ってくるどの車もスピードが速い。峠を越えようとアクセル踏み込んで来るのだか当然だろう。
府道を渡ってその先にある鳥居を……潜らずに右折、車道ベタとなる。指導標がそう指示するのだから仕方がない。歩行者スペースが広く確保されているのが救い。
すぐにピークを越える。車道が大きく右にカーブして下り始める直前、左に下山道がぽっかりと口を空けていた。指導標はそちらを指している。
覗き込む。闇のわだかまった林間の山道――こりゃヘッドランプが欲しい、というくらいの暗がりだった。振り返ると、江文峠の山の斜面に今日最後の光が当たっていた。
下山道に突入。
足許が見難いほどの暗さの中、神経を使いながら下る。ただ、幸いなことに急斜面は最初のうちだけで、ほどなく緩やかな下りに変わった。
金比羅山登山口を過ぎた先で車道に飛び出した。コースは右に折れていくけれど、せっかくなので逆方向、江文神社へ向かう。
……上り坂だったので、ちょっと後悔。途中、数人のパーティーとすれ違い、挨拶を受ける。
――こちらも慌てて挨拶を返す。金比羅山から下りてきたロッククライマーだ。
江文神社。4つの社が変わらず建っていた。
分岐まで引き返し、そのまま下って行く。すると三たび、府道40号に突き当たった。脇にはコース案内板――ここは横断だ。
緩やかな下り。左には、大原の盆地が広がるようになった。眼前に畑。
そして、正面には滋賀・京都府県境の山々が大きく立ちはだかっている。高度700m前後の山稜線だ。あの上を通っている東海自然歩道を歩いたのは結構前。
道標が現われた。川を渡って左折、北へ向かう。
……そう、よく憶えている。ここから暫くは、畑を貫く真っ直ぐな一本道をひたすら歩くだけ。とは言え、今日の歩行時間が12時間を越えてきた。スタミナ切れは歩く速度でリカバリ可能だけれども、足裏が痛いのはどうにもならない。我慢して歩くしかない。
それでも、もう大原の里まで来た。長閑な光景が広がる。
気温が急下降、上着を取り出し着込むものの、冷気は身体を突き刺してくる。まだ晩秋だ、と言い張ったところで12月、気温までは誤魔化せない。
左から府道40号が合流。そのまま野村分かれを通過。
平地歩きとは言え、我慢の歩きが続く。と、左の杉林に展望台の標示。上がってみると、ただの休憩ベンチであった。看板の裏には展望図。
せっかくなので大原の里を眺めながら小休憩。足を最後まで持たせるための休息だ。
――さあ、ラストスパート、とはいえ足取りの重さは隠せない。ようやく乙が森に到着。解説板が悲しい村娘・乙について語っている。
左折して、寂光院へ向かう。
山側へ向かう道。やや上り気味で、疲れた足に鞭を打つかのよう。暫く上っていくと、東海自然歩道は右に向かって折れて行った。
寂光院は……0.3kmの寄り道か。仕方ない、と、コースを外れ細くなった路地をさらに山奥へ。すると大原辻から先、こんな時間なのに観光地然とした雰囲気となった。思いの外、観光客の姿が目立つ。
PM4:54、寂光院に到着。
――がっちりと門は閉まっていた。既に拝観終了時間は過ぎていたのだ。それでも、ここまで来れたことで今日の目的は全てクリア。
踵を返す。後はもう、大原バス停へ向かうのみ。
土産物屋の明かりが仄かに照らす道を歩いていく。大原辻でコースに復帰、再び大原の里へ下って行く。
朧の清水を通過――せっかくの大原の里歩きなのに、里光景が朧げにしか見えないのは残念だ。
別の車道に当たった。「←大原バス停近道」の標示の隣、今日最後の東海自然歩道コース案内板。
その「近道」へ。高野川を渡って左折すると田園地帯となって見晴らしが開けた。ほとんど何も見えないけれど。
それにしても意外なほど人が歩いている。時間帯が時間帯なので(?)カップルが多いようにも感じる。仄明るく柔らかい闇の中、足は大原バス停へと向かっている。
階段に行き当たった。……やっと、ようやく辿り着いた。今日の終着地はこの上にある。
PM5:10、大原バス停に到着。
国道367号に出て、東海自然歩道の先を一応確認しておく。
――ただ、次の比叡山コースは先月、既に歩いている。これまで、東から西にしか歩いたことが無かった鞍馬~大原区間が今日できちんと方向も繋がったというだけのこと。それでも……
2年越しの、京都区間踏破。
![]() |
先のコースへ進む→ |
大原バス停からは、京都駅行きと国際会館駅行きが臨時便含めて多発している。それでもバスを待つ行列はみるみる間に長くなって、最後には20~30人に達した。
京都駅行きバスをやり過ごし、次の国際会館駅行きバスに乗車する。――こちらの方が空いている。
バスが発車。車窓は夕闇から夜闇へとあっという間に移ろう。
30分ほどで国際会館駅前のバスターミナルに到着。京都駅行きの地下鉄に乗り換える。
電車に揺られた時間は20分ほど。京都駅で降車。――ちょっとした気まぐれで地上に出てみる。何故か少し人波に当たりたい気分になったのだ。
予想通り駅の周囲には大勢の人。観光地京都の中心駅は、いま家路につこうとする人たちでごった返している。
改札へ向かう……その途中、ふとあるものに気づき、足が自然に京都駅上部のオープンスペースへ向かう。
――思い返せば、東海自然歩道の京都区間は一昨年の冬~春に“一瞬のうちに”通過してしまっていた。東海自然歩道は山岳コースと思い込んでいた当時は、華やかな京都コースに少なからず鼻白んだものだ。その違和感が先にあって、楽しんで歩くことがあまり出来なかった。
ただ、静岡、山梨のコースへと足を伸ばしている現在、この京都区間の重要性は理解できるようになったように思う。この自然歩道にあって……というより「この日本を代表する長距離自然歩道にあって」必要で欠かさざる要素をこの区間は持っている……そう、思う。
京都駅構内の大きな電飾ツリー。季節はめぐり、もうそんな季節。
無事、今回のコースを踏破出来たことで残りの区間は5つとなった。ずいぶん遠くまで来たものだ。
そして、今年はもうこの自然歩道を歩く予定は無い――ということで。少し気が早いかも知れないけれど。
来年も良い年でありますように。