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北奥駈道縦走【2日目】小笹ノ宿~弥山

日 時

2008/04/29 07:56-17:16(10時間40分)

天 候

はれ のち曇り(日照率50%)

俯瞰図

小笹ノ宿~大普賢岳~国見岳~七曜岳~行者還岳~一ノ垰~聖宝ノ宿趾~弥山小屋(泊)

山上ヶ岳~大峰山俯瞰図

高低図

小笹ノ宿~弥山小屋高低図



距離:13.3km
累積標高(+):1,242m
累積標高(-):1,006m

概況

まずは標高1,780mの大普賢岳への登りが関門になります。道は十分に幅のある稜線の道、それほどの苦はありません。途中からは和左又口から登ってきたハイカーと一緒になり、賑やかです。

国見岳を過ぎると厳しいアップダウンの道。ハシゴやクサリが多出、踏跡も薄く迷いやすい道。十分なスリルを味わえます。縦走装備だと辛いところ。七曜岳で一息。その後は淡々とした行程。行者還岳の山頂に見晴らしは無く、時間に余裕の無い時はパスして構わないと思います。そして、比較的アップダウンの緩い道が続いていきます。見所は少なく、距離をこなすだけの道。

奥駈出合を過ぎるとメインロード、駐車場から上がってきた大勢の軽装ハイカーと混じります。聖宝ノ宿跡からは厳しい登り道。途中からは延々と続く階段を上って弥山小屋へ。

弥山小屋はその規模と充実した設備で、まさしく大峰山脈の登山基地。基点として考えたいところです。

撮影機材

OLYMPUS E-410、ZD14-54F2.8-3.5、ZD40-150F4.0-5.6、CASIO EX-P505


苔

地面の苔

小笹ノ宿

朝の小笹ノ宿

AM6:15起床。

いや、正確には起床ではない。目が覚めた後も、寝袋の中でひたすらまどろむ。昨日の厳しい行程を考え、今朝は計画的寝坊をすることが予め決まっていたからだ。

――小笹ノ宿に朝日が射し込んでいる。白く輝く残雪、誘うような春の光……いつまでも、まどろんでいたい。

テント場

テントを張った場所

大日岳

稲村ヶ岳と大日岳

朝7時半頃になって、ようやく起き上がる。外に出て辺りを散歩。宿客は全員発っていってしまった後で、もう、自分ひとりしかいない。

荷造りとテントの収納。これも悪戦苦闘。やっぱり、なかなか練習のように上手くはいかないものだ。下山までには、もうちょっとマシになりたい。

AM7:56出発。さあ、2日目だ。

小笹ノ宿から北方

小笹ノ宿から北方への展望。名も無き山々が連なる

 



石畳の道

石畳(?)の道

沢沿いの道

涸れ沢沿いの道

稜線の道

稜線の道

沢に沿って上るものの、いきなり道不明瞭。しまった、あまりに平穏な朝だったので平和ボケして適当に歩きすぎた……。

やがて広い道に出る。ただ、その先も涸れ沢が絡む不明瞭な道。もっとも、稜線は一本なので迷うことはない。

それにしても、こんな朝っぱらから山の稜線上を歩いていると言うのは変な感じだ。この10年間、山と言えば日帰りと決まっていたので、朝は「登り」の儀式から始まるものだった。

――それが無い。何か大事なものをすっ飛ばしてしまっているような気もするけど……もちろん、考えすぎ。

やがて路面が安定した。地図上では右側に竜ヶ岳のピークがあるらしい地点を通過。

キノコ

キノコ

巻き道

やや巻き始めた

ブナの道

ブナの道

下り基調。天気は良く道も良く、何も考えずに進んでいける。

昨日終盤、死ぬほどキツかったザックの重さも今日はまだ大丈夫。3食分くらい確実に軽くなっている筈だし……まあ、大した違いは無いのは百も承知。

代わりに、ちょっとした小用分、重くなっている。環境保護。

 



女人結界門

阿弥陀ヶ森分岐にある女人結界門

全山リレー縦走

「大峰奥駈道全山リレー縦走」

五番関で見たものを再び目にする。女人結界門だ。森の中にポツンと立っていて、あまり“門”らしくはない。

それでも、わざわざ潜って結界の外に出る。阿弥陀ヶ森分岐、AM8:28。

少なくとも、山には境界なんて無い。そんなことは山を歩けば直ぐ分かる。国境と同じく、境界は人の心の中。

その心の中の境界に敬意を払うのもありか、とも思う。

脇ノ宿跡

脇ノ宿跡の碑と松

マンサク

早春にまず咲く花、マンサク

小鉢

小鉢

大普賢の岩壁

大普賢岳の岩壁

朝陽射し込むブナの森の中を小気味良く下って行く。方角は再び南、やっぱり奥駈道は南に進んでナンボだ。

両手のストック(と言っても片方は木の枝)は、今はショック・アブソーバ代わり。

――そう言えば、ストックを自然破壊の一因とする向きもあるようだけれど、縦走用ザックを担いでみると杖無しだと膝がヤバい、とヒシヒシと感じる。別に膝を鍛えに山に来ている訳じゃないのだから、1~2本の杖くらい許して欲しいなあと思う。そもそも、杖がどうこうと言う前に、登山靴で山を踏み荒らしているわけだし。

私見を言えば山歩きと言うのは一種の自然破壊行為であり、そのことを自覚した「その上で」自然の自己治癒力に甘える行為であると思っている。オーバーユースで土が崩れ植生が減退した登山道、ほとんど人に歩かれず藪に埋もれかけた登山道、それらを万遍無く見ていれば自然の回復力がどこらへんにあるのか分かる。それに応じて自己調整すればよい……まあ疲れてくると、つい甘え過ぎちゃうこともあるかも知れないけど。

脇ノ宿跡を通過。

 



シャクナゲの道

シャクナゲの道

経函石分岐

経函石分岐

毛深い苔

毛深い苔……

経函石分岐。ザックをデポして寄ってみる。

――が、見付からない。道はあっさりと消え去って獣道に変わっている。そもそも経函石がどのようなものか分からないのだから、何を探したらよいかも分からないんじゃないか、ということに気付いた。諦めて分岐に戻る。

大普賢岳

小普賢岳より大普賢岳を見る

登り道。ここはダブルストックの推進力を活用だ。やがて周囲に残雪が再び現わ始め、高度をだいぶ取り戻したことを知る。

登り切るとピーク。見晴らしがあって、向こう大普賢岳の山頂部が間近に見える。今日最初の目的地まであと少しだ。

地面にはイワカガミのテカテカした葉。

マンサクの花

マンサクの花。あまりアップで撮ろうとは思わない花だが、撮ってみた

和左又分岐

案内の立つ和左又分岐。巻き道もある

大普賢岳直下まで来ると、なんだか賑やかになってきた。和左又分岐の向こうからハイカーが何人かやってくる。日帰りでこの山に登る人たちらしい。

巻き道と尾根通しの道に分かれる。選択は後者。きつい勾配を上っていくと――

 



大普賢岳山頂

大普賢岳山頂。標高1779.9m

大普賢岳山名

「大峯奥駈道第63行所 大普賢岳」

大普賢岳山頂。到着はAM9:52。

既に7~8人ほどいるだろうか。それほど広くは無い山頂だけど、さすが、展望はすこぶる良い。大峰山はもちろん、山上ヶ岳や稲村ヶ岳、台高山地など周囲にある山々がすっきりと一望。人気も頷ける。

ただ、その人気には遠方から見た時のこの山の持つ存在感も加わっていると思う。幾つもの派生ピークを持った、山らしい山。

奥駈道の山稜

山頂から南。関西最高峰・大峰山がやはり大きい

稲村ヶ岳・山上ヶ岳

山頂から西北西。稲村ヶ岳・大日岳~山上ヶ岳~地蔵岳

 



枯笹の道

枯笹の道

岩峰

大普賢岳派生の岩峰

水太谷

水太覗(みずぶとのぞき)より見る水太谷

あまり長居はせずに山頂を辞す。

南斜面、かなり急の下山道をジグザグに下っていく。背中の荷重のお陰で前のめりに転ぶことはなさそうだけど、靴のグリップが足りてないような気がして、おそるおそる下る。

おいおい、ちょっと下り過ぎだろ、と思えるくらい下って鞍部に到着。でも、地図で確認したところ標高にして100mほどしか下ってなかった。うーん錯覚か……。

ポコポコとした大普賢岳の派生ピークを見ながら、明るい稜線の笹道を行く。その笹も白茶けているので色彩感が乏しい。途中、「水太覗」という標示が立っていたのでひょいと覗いてみる。

七曜岳

その国見岳より見る七曜岳、行者還岳

国見岳

標高1,655mの国見岳

――深い谷。高度感は十分。ただ、その先に遠望は利かない。まあ、この時期はしょうがない。

さらに進むとハイカーの姿が無くなった。大普賢岳からだいぶ離れて、いよいよ山深くなってきた感じだ。

地図を見ると次は弥勒岳と国見岳。ただ、どちらもピークが分からず通り過ぎる。

 



クサリの渡し

クサリの渡しを見返す。ここは縋り付くしかない

クサリの下り

クサリの下り

と、突然クサリの渡しが現われた。足下の道は完全に切れ落ちている。なにか、ここまでの道の穏やかさが反転したかのよう。

まあでもこのくらいなら、と思って渡り切ると、次にはクサリを伝う急下降に出くわす。

――こりゃあ、この先は確実に険路だ。ザックの取り回しが大変だぞ……。

垂れ下がるクサリ

垂れ下がるクサリ

打ち込まれたハシゴ

打ち込まれたハシゴ

まずはさておき、ギアチェンジだ。大峯奥駈道にこのような箇所があるとはあまり考えていなかったので、ちょっとこの先の予定がずれるかも知れん、と思いつつ。

隘路を這い進む。上ったり下ったり、方角も右に左に変わるし、ちゃんと進んでいるのかも分からない。

……いや、まあアスレチックな道は大好物なのだけど。普段なら。

稚児泊

稚児泊

大普賢岳の稜線

大普賢岳の稜線

それに、修験者の道っぽいのは悪いことではないと思う。考えてみれば本当に奥駈道が奥駈道だった時代、熊野を目指す人々はロクに整備などされていない大峰山地稜線を辿っていった筈だ。このぐらいで険路と言っていたら、彼らに笑われる。

それでも、稚児泊で久し振りの平面に出会うとホッとしてしまう――軟弱な現代人。

七ツ池

七ツ池。水面は見当たらない?

国見岳2

国見岳……のもうひとつの山頂?

地図を確認したらすぐに出発。緊張感を切らしたくなかったから、という理由。

登っていくと、1,598mの標示。国見岳とある。先ほど通過したんじゃ?と思ったら「ここは地形図上の国見岳とは位置が違います」とある。なるほど。

やがて道は落ち着き、苔むしてきた。現われた標示板は――「七ツ池」。

 



階段

木の階段。古いが状態は良い

X

X字のクサリを這い登る

板の渡り

板の渡り

その先、再び険路。森は深くて見通しは利かず、道筋も分かりにくい。一度は道に迷って、分かる地点まで戻って歩き直した。

それに、ここまでロクに休憩を取らずに頑張っているせいか、早くもスタミナが切れてきたのを感じる。まだ昼前なのに……。

やっぱり、12kgの荷物を標高差2,000m担ぎ上げた昨日のダメージは、一晩ぐらいじゃ回復しないということか……と思っていると上空を覆っていた木々の密度が薄くなってきた。七曜岳のピークが近いのか?

縦走路

縦走路の先、大峰山。手前は行者還岳

七曜岳山頂

七曜岳山頂。標高は1,584m

七曜岳の山頂に到着。AM11:24。

ここまでの岩の多い道を象徴するかのような、巨石の横たわる山頂。眺望も全方向で良好――本当に「登ったぞ」感が得られる山頂だ。

御握りを食す。朝飯の残りだ。吹き抜ける微風に当たって、汗でびっしょりのシャツを乾かす。

和左又分岐

和左又分岐

行者還岳分岐

行者還岳分岐

休憩した時間は10分ほど。気合を入れ直して再出発だ。濡れたシャツはすっかり冷え、体温もクールダウンしている。

ところが、今までの険路が嘘の様な平和な道。ちょっと前の淡々とした大峯奥駈道が舞い戻っていた。――やっぱり七曜岳は縦走路の特異点だったのだろうか? 和左又分岐を見て、いつか和左又~大普賢岳~七曜岳~和左又の周遊日帰りコースも歩いてみたい、と思う。

遂に上空を雲が覆って、陽射しもあまり望めなくなった。光が無いと、この時期の尾根道はますます地味になる。

 



錫杖

行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)の錫杖

行者還岳山頂

標高1,546mの行者還岳山頂。一瞬、日が照る

梯子

梯子。やや注意が必要

そのせいもあって、先程までと比べれば変化が至極乏しく思えるような道をただ歩く。途中、みなきケルンという遭難石碑があったけれど、変化はそれくらい。正午も大きく過ぎて、行者還岳分岐に到着。

さあどうしようか? ザックをデポし、山頂に向かう。この行者還岳の山容は前から気になっていたところ。

息を切らせながら山頂に到達。だけど、そこにあったのは木立に囲まれた地味な山頂。錫杖が突き立っているのだけが、それっぽい。

分岐に戻る。往復に費やした時間は15分。行者還岳の山体を右に置く巻き道を下っていく。途中には梯子も幾つか現われる。

水場

水場

行者還ノ宿

行者還岳をバックした行者還ノ宿。トイレもある

右手に今日最初の水場が現われた。喉とペットボトルに潤いを補充。

もう少し進むと立派な避難小屋が現われた。行者還ノ宿に建つ行者還避難小屋だ。時刻はPM0:50、予定より50分ばかり遅いけど、まあ仕方ない。

さて、大休止だ。ちょっと遅い昼食タイム。定番のマルタイラーメンに具と卵をトッピング。小屋の脇で作って、ありがたく頂く。――温かい食べ物はじつに2日ぶりで、人心地を取り戻したような気分になる。

 



菫

スミレ

大台ケ原

東方、うっすらと大台ケ原

水場まで戻って水の補給などしていたら大分時間が経ってしまった。身体も冷えて、空気が肌寒く感じるほど。もう上空は雲の切れ目すら見えない曇天。

――標高はこの先、上げていく一方だし、気温は下がる一方だろう。少し衣服を重ねておくか。

1時間の滞留の後、PM1:47に出発。

バイケイソウの道

バイケイソウの芽吹く道

菫の花

スミレの花

地図を見る限り、この先は南へ一直線、地形的にはあまり特徴の無い道のように見える。

そして実際もその通りだった。標高1,400~1,500mの間で上がったり、下がったりをただ繰り返す稜線。地味な風景にあって、地面から湧き出しつつあるバイケイソウの鮮やかな緑色ばかりが目に付く。

淡々と歩を進める。天川辻~小坪谷との十字路を通過。

一ノ垰

「第57行所 一ノ多和」の廃小屋

行者還トンネル西口下り口

しなの木出合。行者還トンネル西口下り口

普段、このような道では小走りを交えながら楽々歩けるのだけど、今日はダメ。ただ普通に歩くだけでもどんどん体力が消耗していく。つくづく、自分が日帰り山行分の体力しか持っていないことが痛感される。……でも、今日一番の登りは最後の最後にあるんだよなあ。

というわけで惰性に近い歩き。行者還トンネル西口への下り口をやり過ごし、10分ほど進むと一ノ垰。

 



弥山小屋のシルエット

遠く、弥山小屋のシルエット

行者還トンネル上北山出口への下り口

行者還トンネル上北山出口への下り口

笹原に廃小屋がポツンとある限り。風雨は凌げても寒さは無理だろう。

この先、すぐに尾根の方角が南から西へと90°変わる。奥駈道も当然、お付き合い。いよいよ正面に大峰山――弥山を置いて進む道となる。

ただ、弥山はあまりに遠く、そして高く感じる。道も代わり映えしない。時刻は午後3時を過ぎた。……日没までに辿り着けるだろうか?

石休ノ宿跡

石休ノ宿跡

奥駈出合

奥駈出合。行者還トンネル西口への下り口

葉の無いブナ林を喘ぎながら進む。灰色の景色に灰色の空。午前中の天候が素晴らしかっただけに、落差が激しく感じられる。

PM3:29、奥駈出合に着く。並んだ切り株のベンチに腰掛ける。

――さあ、ここから先は一度歩いたことのある道だ。2年半前、大峰山へ双門コースで日帰りをした際、下山に使った道。

弁天ノ森

西日の射す弁天ノ森。標高は1,600m

あの時は午後4時半くらいにここを通過している。黄昏る前に行者還林道に下り立とうと、結構焦っていた記憶がある。――今は季節が逆。日没までに2時間半以上。なにも焦る必要は無い……そう自分に言い聞かせる。

上り勾配の道を進む。弥山から下りてくる何人ものハイカーとすれ違う。中には家族連れもいる。自分も2年半前はあちら側にいたのだと思うと、何か懐かしい。

石休ノ宿跡を過ぎ、弥山手前のピーク、弁天ノ森に到達。そのまま通過しようとしたら、長いことご無沙汰だった太陽の光が射し込んで来た。

足を止め、小休止に変更。

 



残雪

残雪が道に現われ始める

聖宝ノ宿跡

聖宝ノ宿跡

弥山

弥山までの標高差は300m

弥山へ続く階段

弥山へ続く階段

大峰の道

山頂まであと少し――

もう一度、正面の弥山を確かめる。やっぱり、標高差以上に高く見える。――山が面白いのは、こと垂直方向に関しては測距的な距離と主観的な距離がまるで一致しないことだ。疲労濃く、ザックの重い今の状況で山を見上げると……高い。

弁天ノ森を後にすると下りてくるハイカーの姿も尽きた。もう、午後も4時を過ぎている。山の稜線を歩くにはさすがに遅い時間帯だろう。

そして聖宝ノ宿跡を通過すると、あとは登りしか残っていない。

最初は大きく切り返しながら高度を稼いでいく。汚れた残雪を越えていくと、いよいよ木の階段。

階段を上っていく。高度を一気に稼ぎに掛かる道だけれど、身体は完全にバテている。少し進んでは止まり、また進んでは止まり。少しずつ、少しずつ。

弥山山頂部

弥山の山頂部。本当の山頂は少しだけ先

弥山小屋

山頂部に建つ弥山小屋

PM5:14、弥山山頂部に到着。

――まあ、なんだかんだ言っても最後の登りの脚は無意識のうちに残してあったようだ。平地になるとまた元気が出てきた。

何はともあれ弥山小屋に向かう。小屋の主人を呼び出し、テント代¥500を払う。あと、水1リットル¥100も。聞くと、どうも八経ヶ岳との鞍部の水場は荒らされるのが困るみたいだった。

 



八経ヶ岳

霞む八経ヶ岳とトウヒの倒木

国見八方睨

国見八方覗のテント場

小屋から僅か南に国見八方覗。その名の通りの展望地だけれど、じつに到達3回目の今日も見晴らしは霞の中。

そして、ここはテント場を兼ねている。既に4~5張りほど設営されていた。平らな部分はあまり多くないけれど、端に比較的マシな場所を見つけて自分のテントを設営する。――出入り口の先は苔の大地。

夕日

弥山に日が暮れる

さあ、2度目の山の夜だ。

さっそく、夕食作りに掛かる。メニューは豪勢にカレーライス。カレーはルーとドライフーズの具が分かれたもので、レトルトなんかより高級なものだ。

――もっとも、高い値段で購入した食物=高級、という単純な庶民的「錯覚」はかなり入っている。ただ、錯覚と分かっていても満足な夕食となるのだから、自分も立派な庶民ということなのだろうと思う。

加えて、計算外にルーが余った。よし、明日の朝食の「山菜そば」は「山菜カレーそば」に昇格させよう。……明日の朝飯が楽しみな小市民。

カレーライス

ドライフーズの具入りカレーライス

飛行機雲

標高1,900mでの一日の終わり

あとは寝るだけ。今日の感じだと、明日も体力にそう余裕は無いだろうと思う。もしかしたら、テント泊縦走では一晩の睡眠で疲労を取る“技術”が必要なのかも知れない。

最終的に国見八方睨のテントはもう少し増えたようだ。すぐ傍にもテントを張られて、うるさかった。それに、だいぶ寒くなってきた。

――それでも、夜は余裕で爆睡。

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