- 紅葉の香嵐渓へ -
【踏 行 日】2007年5月上旬
【撮影機材】OLYMPUS E-410, ZD14-54F2.8-3.5, CASIO EX-P505
これまた見事に遅刻した。
駅のホームへの階段を上がったら電車がいた。あれ?早いな、と思って立ち止まったら扉が閉まった。電車がゆっくり動き出すのを見守った。……どうも、寝ぼけていたらしい。
これじゃあ猿投神社行きバスに間に合わない、と分かってポケットからさっとメモを取り出す。なにせ昨夜は遅くまで歩行計画を練っていたのだ。万が一遅れた時の策は立案済み!
――んな計画練っておらず早く寝ろよ、という話。
名古屋からJR中央線で鶴舞に向かい、駅前の鶴舞公園をちょこっと偵察。桜の季節でなく残念。
そして地下鉄に乗り込む。列車はやがて地上に出て、都市郊外の風景の中、名鉄梅坪駅まで走り抜ける。
駅前でまた時間潰し。5月、お昼前の時間、好天気でダルな雰囲気。
豊田市駅からやってきた加茂丘高校行き名鉄バスに乗り込む。乗客は数人。国道419号を北上するものの、途中で猿投神社へ向かう道から逸れてしまう。別に逸れなくってもいいのに、と思うけど無理な話。
そして着いたのが西中山バス停。猿投神社はここから2km余り西。
AM11:49。交差点から西に向かい、辻貝戸の集落に入ると御船川に沿って北進。まずは大池を目指す。
このあたりは東海自然歩道の迂回路の筈だけど、それらしき標示は一向に無い。じつは、困ったことに猿投神社から昭和の森までのコースが掴めていない。
大池を左に見ながら進む。名の通り、大きな池だ。
県道349号に突き当たって左。この道が本来、バスが逸れずに向かっていって欲しかった道。右には棒の手会館があって、鯉のぼりが舞っている。
もう少し進むとY字路。ここに待望の東海自然歩道指導標が立っていた。これでのコースが付け替わったということは確定だ。でも、どの道? もっともありそうな大池の道には指導標は1つも無かった。もっとも、迂回路の終了地点である西中山にも指導標が見当たらなかったのはどういうことか……。
愛知県の現地コース案内はしっかりしているけど、前回の岩屋堂~雲興寺をみても迂回路に限っては不案内と感じる。時間も無いし、適当に歩くしかないか、と決断。
猿投神社到着、PM0:13。
←前のコースへ戻る |
![]() |
猿投神社。猿投山の麓に本社を構え、猿投山の山上に東の宮・西の宮を置く。
――その程度しか知らない。東の宮はコース上にあったので目に出来たけど、あまり強い印象はなかった。ここ、本社も格式は高そうなのだけど、ゴールデンウィークなのにも拘わらず人気(ひとけ)もほとんど無く、静か。パシャパシャ写真を撮っているオジさんがいるくらい……同類か。
少し大きな地方の神社、と言ったら失礼だろうか。それでも5月のお昼時の陽射しが心地よく、しばし境内に留まりたくさせるような魔力がある。
残念ながら、そういうわけにはいかないのだけど。
PM0:20、猿投神社を後に本日の東海自然歩道歩き開始。
とにかく予定より2時間近く歩き始めが遅れてしまっている。1分の遅れが2時間に拡大するのだから、電車バス利用の東海自然歩道歩きの難しさが良く分かる。
……う~、次回からは遅刻をしないようにしよう。
まずは道標に従って北へ。なんのことは無い、さっき歩いてきた道だ。県道合流点で指導標を再度確認。さらに北へ。
県道は広く、走る車は速度を出してくる。もっとも、歩行者道が付いているので危険は無い。
猿投町交差点を通過すると棒ノ手会館。盛大に鯉のぼりがはためくのを見て5月だなあ、と思う。さっきも見たけれど……。
あっという間に中山口。もう一度道標らしきものは無いかとウロウロ。
――無い。時間も無い。知った道に突っ込むしかない、と右折。県道から分かれて大池の脇の道へ。
右に大池を見ながら進む。
池の脇だけど、風よりもアスファルトからの輻射熱の方がより感じられる気がする。まだ春の中頃なのだけど、今年の夏も暑くなりそうかなと思う。
大池を離れると田園地帯。その先は新井の集落。
そして御船川に出合って、右岸の舗装道を進む。完全に、さっき歩いて来た道の巻き戻しだ。
でもなかなか雰囲気の良い道だと思っている。果たして、本当にこの道が東海自然歩道なのか。
残念ながら違うと思う。付け替わった道の序盤にはいつもの指導標が立っていたので、西中山まであと1つ2つは指導標が立っていることだろう。
でも、この道には遂に無かった。まあ、しょうがない。
辻貝戸を抜け、西中山へ到着。PM0:49。ちょうど1時間かかってこの交差点に戻ってきた。
再度、キョロキョロ。おかしいなあ、道標いっさい見当たらない。少なくとも数年前まではここは東海自然歩道だった筈だから、なにかその跡があっても良さそうだけど。
もっとも几帳面な愛知県のこと、コースを付け替えると同時に古いコースの道標は全部取り外したと考えるのも一理。
国道419号を横切って東へ、昭和の森に向かう。
車道脇に入り口。待望の指導標があった! と思ったら東海自然歩道の刻印は無し。でも矢印が緑色に塗り潰されている。それは愛知県の東海自然歩道指導標の証し。
不安がだんだん大きくなる。いったい、合っているのか間違っているのか……。
昭和の小径に突入。ともかく山道だ。新緑の鮮やかさを存分に楽しむ。ツツジのピンクも混じる。勾配は無きに等しい。
アスレチックフィールドに突き当たった。体育の森と言うらしい。迷ったけれどここは右。と、すぐに「東海自然歩道」の見慣れた指導標が現われた。バス停西中山まで1.1KMとあり、矢印は緑。
やっぱり、西中山からここまで歩いてきた道は正しかったのか?? ともかくこの先はオン・コースでいけそうと分かって、ホッとする。
車道に出る。人がいっぱい。
昭和の森を縦断する舗装道を進む。奥へ奥へと向かう道。
と言っても車道一辺倒では無く、林の道を経由するところもある。整備された木立の並びが素晴らしい。散策道としてはベストだろう。
再び舗装道に出て、赤屋根の交流館を右に見ると左手には小高い丘。「平成子どもの丘」と書かれている。昭和の森なのに……。
それにしても先程の猿投神社とは明らかに違う盛況ぶり。愛知県には高齢者より子供のいる家庭が多いのだろうか。そんなことは無いか。
また駐車場。公園のあちこちに駐車場があって車が自由に入り込んでくるのが愛知県らしい(のか?)。
でも、そこを過ぎると一気に静かになる。ポプラ並木を過ぎると普通の林道と区別が付かない道に。
それでも東海自然歩道の道標はしっかりと設置されている。やっぱり愛知県はマメだ。
Y字路があって、道標に従い鋭角に右。より深い森の中の小道に入る。道が細くなったせいで樹林がより近い。道は上り基調。
やがてピークを過ぎたのか緩い下り勾配のダートの道に。道は単調、見るべきものも無いので退屈し始めた。
アップダウンも無いし、道標も多すぎるくらいある。つまり頭を使うようなことが無く、ということは緊張感も続かない。
途中、池が現われたのが唯一の変化。昭和の森と繋がっているのだろうか、池一周コースなどもある。ただ、午後も深まってきており、おいそれとゆっくりしてもいられない。
そのまま進む。
車道にぶつかる。田茂平まで0.2KMとあり、たしかにそちらの方向には集落が見えている。
コースは、と。車道の向こうに道標と降り口が見えた。車道を横断。
再び森の中へ。今度は正真正銘の山道だけど、もう昭和の森のエリアではない。
適度なアップダウン。ようやく自然歩道らしくなってきた……と思ったらいきなり「キャラメルの丘」なる標示。それも、小学生低学年が図画で描いた様な……というかリアルに小学生作。キャラメル?
丘と言っても変哲の無い森の中。宮沢賢治ファンタジーの世界に紛れ込んだような錯覚は、さすがに無い。
それでも昭和の香りはする。
小学校の裏山コースと推測。
――がんばれ沢。
――キャラメルの草むら。
――カッパの池。
どれもこれも変哲の無い場所。でも、そもそも自然歩道歩きなんて変哲の無いものに対して意味を見出していく行為。そういう意味では、すれっからしの大人より子供の方が見えているものは多い筈。そう思うと、ちょっとした羨望も。
PM1:57、いっぷく峠に到着。
ベンチがいくつも並ぶ雑木林の中の空間。地形的には峠っぽくないけれど、看板の大きさから言ってこのコースの中心なのだろうと思う。
「わなげがあるよ」の看板の下には輪投げ。峠に輪投げというセンスは何と言うか……独特。「いっぷく」のネーミングもそうだけれど、やっぱり昭和時代に紛れ込んだような気が。
輪投げはパス。やってもいいけど――誰かに目撃されたくはない。
峠を離れる。
またいくつかの手作り看板を見ながら山道を進む。基本は下り勾配。
と、左手に続く平坦な草むらが田んぼに変わった。と同時に前方も開け、遠く車道が見えた。歩いている道も、車の通れる幅へと広がる。
手作りコースもお仕舞いらしい。このまま車道を合流するのかと思いきや、山の尾根を大きく回り込む。再び山へ向かう方角へ。
左手に民家が立ち並んでいる。そちらに下りて行く道には進まず、引き続き山裾を歩く。正面には西広瀬の集落が見えるのだけど、なかなかそちらに向かないのでまどろっこしい。
と、山側に休憩所が現われた。ベンチと、今度は巨大な手作り看板。「東海休けい所」の標示。
――小学校の裏山コースかと思っていたけれど、子供たちはちゃんと「東海自然歩道」を認知してたと分かり嬉しくなる。もっとも、東京から大阪云々の話を聞いてもピンと来ないだろう。東海自然歩道の西広瀬休憩所、とすべきところを“東海休けい所”とまで端折ってしまうぐらいなんだから。
おみくじにマップポスト。空だろう、と思ったけどちゃんと入っていた。昭和の残滓では無く、ちゃんと平成の世に繋がっている。
感謝。
やがて舗装道へと変わった。ほどなく、西広瀬城址。
織田信長の臣、佐久間氏一族が居城という説明板だけ読んで、上って行くのは諦めた。遺構が残っていそうもないし、展望も得られそうも無い、なによりも時間が足りないし。
飯野川にぶつかった。その右岸の道を進む。
いったん川から離れ、集落に入っていく。
すぐに県道にぶつかる。右に行くと件の西広瀬小学校だけれど、コースの指示は左。
飯野川を橋で越える。飯野川は下流すぐのところで大きな川に合流しているのが見える。矢作川だ。
そして、生田商店のある西広瀬町交差点に到着。PM2:27。
自販機で飲み物補充。五月晴れの日の昼下がり、まだまだ気温は高い。
商店の前には道標。「三河広瀬駅0.3KM 5分」の文字が悲しい。名鉄三河線の猿投=西中金区間は平成16年に廃線となってしまったのだ。
まだ、道標が時間に追い付いていない。でも「東海休けい所」で貰った手作りマップには、三河広瀬駅にちゃんとバッテンが付いている。さすがだ。
県道350号、広梅橋へ向かう。交差点を渡ったところには公衆トイレもある。
広梅橋へ向かう。左側には「広瀬やな」のゲート、閉まっている。ところで梁(ヤナ)って何? 川面に設置する台のようなもので鮎を捕まえ、料理に出す食事処のことらしい。今はオフ・シーズン。
そして広梅橋。矢作川が思いの外、大きい。そして……
三河御船駅、枝下駅、西中金駅と同じく、3年前に廃駅となった三河広瀬駅。駅舎とホームはそのまま残っており、今でも待っていればゴトゴトと音を立てて列車がやってくるんじゃないか、という雰囲気がある。
ただ、もう線路は繋がっていない。
線路脇に広瀬城跡への入り口。
進むと階段があって、その急勾配ぶりに一瞬、怯む。と言ってもまだ攻めの時間帯だ。勢いを付けて一気に上る。
息を切らしながら上り切ると、現われたのは小広い広場。新緑の木立に囲まれ清涼感がある。ベンチがいくつも並び、豊田市のコース案内板も立っている。それと、広瀬城跡の説明板。
午後のひと時を過ごすには最良の空間だと思える。ただ、誰もいない。ただ、ただ静か。
広瀬神社を過ぎて明るい道を下る。
東広瀬の集落が現われる。
再び県道。左折して北へ向かう。
と、すぐに右折の指示。田の畦道を渡るとまた右折で、結局、集落の中の車道を南に向かうことになる。
![]() |
先のコースへ進む→ |