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3日目、起床は朝4時。
――昨夜も雨は無かった。フライシートも張って万全にしていたのだけど、結果的には必要なかったかも知れない。
朝飯でカレーうどんを食す。カレーは昨日の余り。その後は着替え。……ズボンが濡れたままだ。上着、シャツは替えは持ってきているけれど、ズボンは1つ。冷たい……。
明るくなって来た。テントから出て直ぐ上の稜線に上がり、日の出を待ち受ける。


同じように日の出を待ち受ける人が十数人。ただ、雲も多い。夜明けの時間になっても、太陽は現れてくれなかった。

もう少し粘る。15分ほども経って、ようやく太陽が現れた。五龍岳の山体にも、明るい陽射しが当たり始める。ただ、その山頂部は未だガスの中。
いつものような高山の朝。やっぱり、心が洗われる――。


五竜山荘前で水を1リットル補充。箱に100円を放り込む。
テントに引き返して出発の準備。濡れている衣服はコンビニレジ袋に突っ込む。……ザック、重くなるんだよなあ。

フライとテントを不器用に畳んでいるころには、いつの間にか西方の毛勝三山稜線の雲も取れていった。西方は雲が少ない。
今日はのんびり出来るスケジューリングだけれど、出来るだけ早く出発して、ガスのかららないうちに行動しておきたい――。
……とは言っても、ザックのパッキングにはいつも手間取る。出発は、AM5:55。

山荘手前の白岳へ登る。5分ほどで遠見尾根分岐に到達。北方には唐松岳が良く見える。今回の縦走路の最終到達予定地点。
――思い返せば、家を発つ前の気象予報を見て、台風4号の進路と雨雲の吐き出し具合によっては途中でエスケープすることも覚悟していた。
それが、どうやら計画完遂出来そうな状況になって、正直ホッとしている。なにしろ1年に2度あるかどうかの縦走。再チャレンジは難しい。

いちおう、白岳の一番高いところまで登っておく。その先、遠見尾根は今回使わない。
分岐へ戻って、唐松岳の方角へ。



白岳からやや下った後は、なだらかな稜線歩きになる。
――昨日はガスのため非常に狭い視界の中を歩いたので、今日はとても気持ちいい。
前後に遠く、ポツポツとハイカーの姿。南方には雲の取れかけた五龍岳。その山裾からは、再び剣岳が顔を出した。
爽やかな気候で、濡れていたズボンも乾き始めている気がする。気のせいかな……



出発から40分ほどで、登山道が潅木帯に突っ込んだ。朝露に濡れた草葉がズボンをまたもや濡らしていく。
でも、ずんずんと進む。高度は2,350m付近まで落とし、お花畑も見られる。
――あと少しだけ下ったら、残りは登り一辺倒。道を外れ、狭い空き地で一休みすることにする。東の白い景色を眺めながら、飲物補給。
山岳パトロールのオジさん二人が、背後の登山道を歩き過ぎていった。



潅木帯を脱し、登り道。ただ、長くは続かない。大黒岳の山頂もどこにあったか分からなかった。
そして、前方には唐松岳のなだらかな稜線。昨日の、布引山へ向かう稜線を思い出す。空の雲の量がどんどん多くなっていく状況も同じ。
昨日とはうって変わって、緊張感がまるで無い、ゆるやかな登り――あくびが出そう。
と――

後ろ、南東の一面の雲海の上、八ヶ岳の幾つかの峰の左側に、台形状の山影があるのを確認。
――富士山だ!


今回の山行では富士山を目にすることはないだろう、と思っていただけに、ちょっと感動した。五龍岳の山体を挟んで、その右には立山。
上り坂の途中。足を止め、しばしの間それら遠方の山々をぼーっと眺める。



唐松岳への本格的な登りが始まった。
――といっても、標高差で言ったら大した事は無い。ただ、縦走3日目なので足の疲労がやっかいなだけだ。
時間が十分にあるので、ゆっくりと歩く。日の光は完全に失われ、まだ朝8時だというのに曇り空へと移行しつつある。晴れ間は遂に2時間ともたなかった。
登るにつれハイマツの緑が減り、風景が赤茶けてくる。



クサリ場も現れる。ただ、昨日の五龍岳南稜線に比べると険しさは大人と子どもほどの差。楽々とクリアできる。
登り道を粛々と上がっていく。風も無く、静かな道。ここが最後の頑張りどころ。
――それにしても、ザックが重い。濡れたテントや衣服のせいか、体の疲れのせいか。


最後のピークを回り込むと、いきなり真っ赤な建物が目に入ってきた。屋根ではなく、壁が真っ赤だ。これは目立つ。
その左には唐松岳。五龍岳方面からは円く見えていた雪田もだいぶ歪んで見えている。

そして、その向こう――不帰嶮と天狗ノ頭が覗いている。白馬鑓ヶ岳から白馬岳の稜線――おととし歩いた道――は雲の中。
山荘までは、ほぼ水平に続く道。


途中に見事なお花畑があって、しばし引っ掛かる。なにしろ花で有名な八方尾根、その最上部までやってきたのだ。


AM8:50、唐松岳頂上山荘に到着。小屋の脇、地味に八方尾根分岐が立っている。
――時間帯のせいか、思ったより人の姿が無い。大きな山荘なのに、ちょっと寂しい。
その山荘前のベンチにザックを下ろした後、ストック1つで唐松岳山頂へ向かう。今回の縦走、最後のアタックに臨む。


――と、砂礫の斜面を横切るところで道の両脇にロープが張られていた。もしや、と思って見ると……やっぱり、コマクサ。
ちょっと時期が遅くて、萎れ掛けているものも結構多い、それでも、これだけ多くのコマクサを見るのは久しぶりだ。


鞍部を過ぎて、道は登りになる。岩の道だけれど、とても歩きやすい。良く踏まれている。



AM9:20。唐松岳山頂に到着。今回の縦走の終着点。
ここから北は険路。今回は行くことが出来ない。――と、そちらから3人の男性ハイカーが登ってきた。不帰嶮を超えてきたらしい。
写真を頼まれる。その三人――パーティというわけでは無いらしいのだけど不帰嶮クリア記念ということで、3人共々、フレームの中に納めて、パチリ。
自分はと言うと、ガスが晴れるのを暫く待っていたものの、無理そうと判断して来た道を戻り始める。

岩の道を下る。あっという間に、先ほどのコマクサ地帯。――少しだけ、日の光が射し込む。

そして、山頂小屋に戻ったのはAM10:00。デポしておいたザックを回収。
――なんか、随分と人が増えている。アサイチで八方尾根を登ってきたハイカー達だろうか?


でも自分の縦走はもうオシマイ、ここからは無事に下山するだけ。その、八方尾根も難所は無く、さらに最後はリフトとロープウェイになる。
でも、油断大敵。疲れた脚で転等骨折なんて真っ平だ。


八方尾根分岐へ進む。その口、白馬村方面へ向いて一生懸命ケータイを打っている少女が一人。山ガールとか、そんな光景が増えていくのだろうか?
下山を開始する。



尾根稜線の右側を巻くように下りて行く。傾斜は緩やかで快適。ただ、ガスが濃くて見晴らしは利かない。
一方、周囲にはさすが、花が多い。そのため途中途中で足が止まる。さらに、雪渓痕にはチングルマの壮麗なお花畑――
きれいな個体が多い。今年は残雪が多かったということなので、咲き始めが遅かったのだろう。
そんなこんなで時間が潰れていく。


なかなか下り始めてくれない。まあ、今日は時間の余裕はタップリあるので、焦ることは無い。


それにしても、咲いている花の数が随分と多い。それだけではなく、花の種類も代表的なものが入れ替わり立ち替わり、と言った風だ。さすが、八方尾根。
登って来るハイカーとすれ違うことも増えてきた。ファミリーも多い。

やや下った後は、ふたたび開放的でフラットな道が続く。前方の雲海に向かって歩いていくような感じだ。
道の状態もすこぶる良い。北アルプスのハイクコースとしては超有名どころなので、当たり前だろう。ハイカーの姿もどんどん多くなってくる。


衣服もすっかり乾いて、体調も申し分ない。縦走では最終日に必ず楽になるコース設定をしてきたけれど、今日のは楽過ぎだったかも、と思う。

ただ、時折、ムアっと暖気の塊が身体に当たって来るようになってきた。
――いつも思うのだけど、夏山の下山では、盛夏の下界に向かって歩くのがなんとも気が滅入る。一種の試練だ。
それでも、自分の家に帰らなきゃならない。オレたちゃ山には棲めないからに。



AM10:48、丸山山頂に到着。
……ピークという感じはとてもしない。そりゃそうだ、八方尾根分岐から高度差にして160mしか下っていないのだし。
ここは絶好の展望地のようだけれど、今日は白馬三山の山肌が少し見える程度。台風が近づいていることでもあるし、止む無しか。
山頂の右手から、巻くようにして下りる。



と、道はそれなりに下り始めた。ハイマツが薄れて潅木が眼に見えて増えてくる。
同時に、気温もぐんぐんと上がってきて、汗ばむ陽気になってきた。昼が近づいたのと高度が下がったの、両方だ。
前方には巨大な白面――扇雪渓。その下に到着して少しの間、涼をとる。同じように考えているハイカーも大勢。
――さて、これからは暑さとの戦い。下山を再開する。


周囲は完全に樹林帯となった。時々、開けた場所に出るけれど、もう雰囲気は高山のそれでは無い。
咲いている花々も、ツリガネニンジンやアザミなど、やや低いところでも見られる花が中心になってきた。


下界が近づいてくるのが実感される。


ずんずん下る。なんか、疲れてきた。ザックを下ろして休憩をとる。――シャツが結構、汗で濡れていた。


今は、朝方に山の上から見下ろしていた雲海の中。たぶん、ここを突き抜ければ下界が見えるのだろうけれど――。
今はまだ、雲の中。たゆたうガスの道を進み、時折、周囲の花々を見るため立ち止まる。
次の瞬間には、ややガレた道になる。


突き当たったのが、八方池周遊路。――なんと大勢の観光客がたむろしている。天候が悪いと言っても、あの八方池だ。むべなるかな。
左、木道のある方へ進むと、すぐに八方池。到着はPM0:04。


――想像していたのより、ずっと小さい。濃いガスが懸かっているのに、対岸が見えている。そして、大勢の軽装ハイカー、というより観光客。
さて、どうしよう?

飯森神社奥社の小さな祠がある。
その裏手に回って、ここで昼食タイムとする。お湯を沸かして、乾燥米をぶっこむ。あとはキムチスープ。
――昼飯を摂っていると、雨が降ってきた。本降りにならなそうなので、無視。
腹も膨れたので出発。一時間ほど経過していて、時刻はPM1:04。



八方池は、またいつか来ようと思う。秋か、もしかしたら冬あたりに――。
それにしても、ゆっくりし過ぎたかも知れない。予定ではそろそろリフトに乗っていたのだけど、そこまで、まだまだ距離がある。
周囲は草原地帯。八方ケルンを過ぎると、沢沿いの道に出た。もう、すっかり観光地の自然探索路の雰囲気。
――それでも、軽装の観光客に大きなザックを背負ったハイカーが混じるのが北アルプスっぽい。今は自分もそっち側の一人。



左に90度曲がって、木道が長々と続く。ようやく、花の数も減ってきた……人の数は減らない。
しばらく進むと木道はジグザグ状になって下り始めた。タン、タンと下っていくものの――
結構、足が疲れてきた。重いザックを背負い続けていたために肩も痛い。――でも、あと少しだ。我慢して歩き続ける。


PM1:46、八方池山荘前に到着。脇には大量のヤナギラン。
ここにはトイレや土産物やがある。そして、リフト駅も。そう、それは三日間の山旅が終わったことを意味している。
広場の端にザックを下ろし、座り込んで暫くボーッとする。あとはリフトに乗るだけ。それとも……歩いて下りようか?


残念ながら、自分はもう足を労わる年齢。なるべく長く山歩きを続けたいので、ここは文明の利器に頼ろう。
――それでも、暫くその場から動かなかった。乗ってしまったらもう、この3日間が終わってしまうと思うと。


腰を上げて、リフト駅へ。
料金は下りた後とのこと。リフトに一人乗り込み、真っ白な世界に飛び出す。


バイトの子に料金を払い、外に出たものの真っ白な景色は変わらない。少しだけ湿地帯の木道歩きで、直ぐに次のリフト駅。
それにしても、八方池で見掛けた人の数に比べ、あまりにも人がいなくて何となく寂しげ。こんなものなのだろうか?
再度、リフトに乗る。いざ、八方へ――

どうしようもなく白けた景色が、下方から薄れていく。その向こうにうっすらと町が見えてくる。
――白馬村だ。雲海の下に出たのだ。
下界の霞もだんだんと取れていって、周囲の緑の絨毯、日本最大規模を誇るスキー場が全容を顕にし始める。一気に、風景がダイナミックに。
今更ながら、リフトのスピードが結構早いことに気付かされる。兎平があっという間に近づいてくる。


兎平に到着。
そのまま、ゴンドラリフト駅の立派な建物まで進む。人の姿はチラホラ。やっぱり、少ない。


植え込みには見事なカライトソウ。――正直、山の上で見たのよりも色づきが良い。なんとなく、人工的な色にも見えてしまうのだけど。
目の前にはゴンドラ。――さあ、あとはこれに乗るだけ。こいつがすべてを終わらせてくれる。



五龍岳稜線で遠くから眺めていた白馬村が、目の前にどんどん拡大されていく。やがて視界が全体に及ばなくなり、建物の狭間に山麓駅が見えてきた。
――山麓駅、到着。PM2:42。僅か36分で1,070mを下ってしまったことになる。
駅の外へ出る。
避暑のリゾート地ではあるこの地だけれど……暑い。今年の夏の猛暑は、ここにも及んでいるようだ。
八方バス停まで22分歩く。さらに、バスに乗ってすぐに白馬駅。
――これで、今年の夏の山旅は終わりだ。街へ戻ろう。