■別当出合→黒ボコ岩
お盆休みの金沢駅東口1番口。AM5:30発の北鉄バス別当出合行きに乗車。
――このバスの便はハイ・シーズンにしか走っていない。それだけ乗客が多いのかと思ったら……自分含めて6名しかいなかった。
バスは朝陽を浴びながら、早朝の街を軽快に走る。やがて郊外の風景となり、山の合い間となって右に左に揺れ始める。徹夜明けだけど、おちおち寝てもいられない。
市ノ瀬到着。ここで駐車場客を積み込んで満車になる。そして、細い林道をぐんぐん上っていくと、ほどなく別当出合に到着。AM7:30。
想像していたのよりこじんまりした空間だ。トイレと「別当茶屋」しかない。もちろん、茶屋はまだ開いていない。「日帰り入浴11:00-15:00」との標示。
と、さきほどのバス添乗員のおねーさんが、「どなたか財布忘れませんでした?」と呼ばわりながらバスから出てくる。へぇ、ずいぶんとマヌケなやつがいるものだ、と思ったら自分だった。こいつはハズかしい……。
気を取り直して出発、AM7:40。
ほとんど全員が右手の吊橋を渡っていく中、自分は左手に登っていく観光新道に取り付く。
そして、道はいきなり高度を上げ始める。周囲はブナ林――ただ、高度1,300mを越えているここでは、ブナの大木は見られない。
かと言って、シラビソなどの針葉樹林帯になるかと思うとそうでもなく、広葉樹の自然林が続いていく。
そして、道端、大きなガマガエルに出迎えられる。白山に来て最初に見た生き物がコイツとは……。
それにしても暑い。持参したペットボトルは4本弱。うち1本は凍結済みだけれど、持つか少し不安になってくる。
観光新道は室堂まで水場が無いので、水は大事に消費しないといけないのに、思ったより日当たりが良い。日焼け止めを塗り重ねる。
ひとしきりの登りの後に道はかなり平坦になる。シモツケソウなどの高山植物も目立ってくる。ガクアジサイも綺麗だ。
最後、完全に上空が開けた、尾根稜線へ取り付くジグザグの道。頑張って登り続ける。
あっけなく、別当坂分岐に到着。AM8:34。
――風が強い。
目の前からは木の階段がすっと伸びていく。脇にはハクサンシャジン。風に大きく揺れている。
他にはシモツケソウ、アザミ、イワオトギリ、アキノキリンソウなど。
この稜線は登りばかりでなく、平坦になる箇所もあるので歩きやすい。――ただ、下山して来る人とすれ違うことが多くなってきた。室堂で一泊して、午前中のうちに下山するグループなのだろう。たしかに、前方、見晴らしよく下っていけるこの道は下山道として良いかも知れない。
左手に見下ろせていた別当谷に加え、右手には湯ノ谷と釈迦岳稜線が見えるようになってくる。展望は素晴らしいけど、谷筋に幾重にも造成された堰が痛々しく見える。
仙人窟を過ぎ、行く手にずっと見えていた雲についに追いついてしまう。展望は閉ざされ、色気の無いコントラストの低い風景へと様変わりする。
ただ、暑さに一息付けたのも確か。高度を上げるスピードより、気温の上がるスピードの方が明らかに速い。なにしろ下界は35℃を越す猛暑が連日続いているのだ。100mマイナス0.6℃で計算すると、高度2,200mでさえ23℃。
イブキトラノオの群生が目立ってきた。
せめて風があって欲しいのだけど、今はパタリと止んでいる。
花を撮りながら適度に休みつつ、登る。ずっと見えていた殿ヶ池避難小屋が次第に大きくなってくる。
あたりにはミヤマシシウドが乱立するようになる。そして下の方、控えめにハクサンフウロ。
――その間をベニヒカゲが忙しなく舞う。
AM9:40、殿ヶ池避難小屋。
池の前に丸太がベンチもあって、下山者たちが憩っている。見晴らしも良く、別山の稜線に掛かった雲が躍動しているのが見え、高山に来たんだなあ、という実感がようやく出てくる。
小屋を過ぎると真砂坂のお花畑。ハクサンシャジン、タカネナデシコ、タカネマツムシソウの群生。カライトソウも頭を垂れている。
ふたたび日が照ってきた。ただ、風も吹き付けてくる。空を見上げると純なスカイ・ブルー。どこまでもどこまでも、この稜線が続いていくような錯覚に捉われる。
ただ、早くも足に疲労が蓄積されてきた。久しぶりの山登りなので、かなり体力が落ちていることを実感。まあ、単純に加齢のせいかも知れないけれど。
遙か遠く、日本海のマリン・ブルーも見えている。周囲には、ニッコウキスゲ、マルバダケブキの黄色も加わっている。
蛇塚のくぼ地で一瞬視界が狭まり、さらに進むと……
■黒ボコ岩→御前峰
AM10:38、黒ボコ岩到着。
大勢の人が休んでいる。どうも今朝は市ノ瀬から早朝臨時バス便が出ていたらしく、砂防新道経由で登ってきた人たちも多いようだ。やはり、マイカーの利便性には敵わないな、と感じる。
風は止まった。周囲はすっかりガス。しかもなかなか重そうなガスで、8月半ばという時期を考えると、もう山頂部で好天は望めないかも知れない。どっちかと言うと、雷雨にならないことを祈るべきか。いちおう、大気の状態は安定しているハズだけど……。
黒ボコ岩っていったいどの岩なのだろう、という疑問を特に解消しようともせず、室堂へ向かう道を採る。
ほとんど上りも無く――
すぐに弥陀ヶ原。前を歩いていた学生パーティから歓声があがる。無理も無い、山上にこれほどまでに真っ平なところがあろうとは、夢にも思わなかったのだろう。
幅広い木道を歩く。周囲は草原で、あまり湿地らしくは無い。ハクサンフウロは群生しているけれど、さすがにチングルマは、もう無い。
左前方、水屋尻雪渓がガスの中からおぼろげに浮かび上がっきた。木道が尽きて、五葉坂の登りが始まった。
先の見えないハイマツ帯。きつくは無いけれどペースは出ない。疲れている。
いきなり、白いガスの中からヌッと現れた巨大な建物にビックリ。そして――人、人、人。そう、ここが室堂。AM11:00。
暫く建物の軒の下で足を休めるものの、ガスは一向に晴れてきてくれそうもない。仕方ない、出発するか、と建物の反対側に回り込む。
すると、山の神様の気まぐれで、突如として上空に青い色をした窓が開いた。
その一瞬の青空の下、ビジターセンター前の広場では、これ以上ないぐらいに平和な光景が展開されていた。――少し早いお昼ごはんを食べる人たち、目の前の白山神社奥宮へ参る人たち、周辺の遊歩道へ向かう人たち、帰って来る人たち、ぼーっと景色を眺める人たち、山そっちのけでお喋りに興じる人たち。そして――御前峰へ向かう人たち。
この平和な地に、爽やかな高山の風が吹き渡る。
さあ、出発だ。御前峰へ向かう人の列に加わる。
堪え切れなくなったかのように、周囲に再びガスが垂れ込める。
登る人より降りてくる人が多い。室堂に宿泊している人たちなのだろう、軽装のハイカーばかり。ただ、山頂から景色を眺めるには遅すぎる時間帯。
一歩一歩踏みしめて登る。飲食物が減って軽くなっている筈のザックが、出発時より重たく感じる。それに、ガスの中のため前進感が無い。
何度も立ち止まりながら登る。たかが250mの高度差。電車・バス行ということで家に置いて来たLEKIのストックが恋しくなる。
AM11:44、息を切らせながら白山山頂到着。自身、日本百名山の55座目の登頂だ。
山名碑を見上げると、そこにいたオジさんと目が合って写真撮影を頼まれた。「着いたそうそう、悪いねえ」って、まったくその通り。
カメラを返し、お礼を返される。申し訳ないことに、背景が真っ白なガスの写真。――そう、まわりに何も見えない。こういう時、することは決まっている。そう、待つのだ。
山頂は大小の岩が散らかっており、十数人の登山客が思い思いの場所に陣取っている。
やや冷たい風が吹き渡っている。
……その風にガスが千切れた。周囲から歓声。うっすらと、剣ヶ峰の山体と草付きの火口部が見えてきた。もっと見えて来い……。
さらに1分ほど待つと、ついに白山山頂部の全容が現れた。――剣ヶ峰と大汝峰。乗鞍岳の山頂部に似ていると一瞬、感じる。思ったより、広大な空間では無かった。周囲の山々が見晴らせるようになると、もっと雄大さが加わる筈だけれど、さすがに今日の天候では無理な注文。
そして向こう正面、剣ヶ峰の山頂にはケルンが2つと山名碑が立っているのが見えた。人の姿は見えないけど、やはり登る人はいるということなのだろうか。
大汝峰山頂には石室で囲われた社。こちらには小さく人の姿が見える。
そしてその反対側、室堂平~弥陀ヶ原も一瞬だけガスが晴れ、その広大な台地が見渡せた。
――それにしても室堂ビジターセンターの建物の巨大さは際立っている。人がまるで米粒のように見える……。
■御前峰→室堂平
PM0:02、山頂を出発。登ってきたのと反対の道採り、いわゆる池巡りのコースだ。
2、3、岩のドームを巻きながら進む。地面は白亜の石灰岩。紺屋ヶ池の向こうに、もう1つ、翠ヶ池が見えてきた。
やがて道は稜線を離れ、火口部へジグザグに下りていくようになる。急下降だ。ガレていて、足許が滑りやすい。あたりにはシロツメグサやイワギキョウが咲いている。
紺屋ヶ池へぶつかりそうになると道は左に折れる。池まで下りて水の冷たさを感じたかったけれど自粛。
雪田の傍に、今回初めてチングルマを見る。他には、アオノツガザクラなど。
道は緩い上りとなり、小さな峠を越える。
翠ヶ池が目に飛び込んできた。手前には大きな雪田。
――本当に水が零れ落ちそうだ。実際、零れ落ちているのだろう。もし今日、遠くの山々まで眺望が得られていれば結構強烈な遠近感を得られただけに、残念だ。
周囲は融雪地帯のお花畑が広がっている。ハイカーもほとんどやってこず、ちょっとした楽園だ。チングルマやコケモモ、コイワカガミ、タカネタンポポなど。
ちなみに、地図によると、ここだけ瞬間的に岐阜県側に足を踏み入れているらしい。どうでも良いことだけれど……。
ガスで見通しの利かない、草と砂礫の道を進む。
――先の展開が分からないのでそれなりに楽しいけれど、やはりどちらの方角へ歩いているか分からないという不安感は付きまとっている。
血ノ池を回り込むと大汝峰への分岐に当たった。道標も立っている。その向こうには小さい池が見える。これが五色池だろうか?
時間を確認。現在はPM0:36。えっと、ここから3時半のバスに間に合わせるには……結論、大汝峰に寄っている時間無し。残念!
千蛇ヶ池。と言っても大きな雪田にしか見えない。この下に池があるのかも知れないけれど。
また、左手に「室堂近道」と示された道が斜面を這い上っていくのが見えた。その「近道」はパスし、山腹を素直に回り込む巻き道の方に進む。
相変わらず、ガスの中。
コバイケイソウが群生している。その向こうに雪渓。典型的な夏山の光景だ。他にはミヤマリンドウなど。
この分だと雪渓を渡ることもあるかと思ったけれど、それは無し。小さな沢を渡るに留まった。平坦であることを生かして、半ば小走りに進む。遊歩道はじっくり歩きたいものなのだけど、日帰り登山の悲しさよ……。
小雨が降って来た。
ぼんやりと室堂のビジターセンターが見えた、と思ったら、すぐに到着した。PM1:06。
雨脚はやや強まっている。雨具を出すか出さないか迷うレベルで、とても困る。とりあえずビジターセンターの中へ。白山山頂郵便局は閉まっている――宿泊は受付中。全予約制、大人1泊¥5,100と、リーズナブル。いつの日か、豪勢に3泊ぐらいしてみたいものだ、と思う。
ビジターセンターを抜けてふたたび外へ。ふと、もし温暖化が進んで毎年が猛暑になるようだったら、このような避暑地の人気も上がるのだろうか、などと考えてみる。
でも温暖化の結果、この白山の自然も様変わりしてしまうのであるなら、それもそれで困るなあ、と考え直す。
■室堂平→別当出合
PM1:16、室堂ビジターセンターを後にする。
弥陀ヶ原まで下って左折、エコーラインに入る。ハイカーの姿は消える。登り=砂防新道、下り=砂防新道ないし観光新道、という定番化が進んでいるのかも知れない。
木道はどこまでも平坦。あまり花は見られないけれど、イワイチョウを初めて見た。
さらに進むと木道は尽き、地道となった。傾斜は相変わらず緩やか。
チングルマが多い。ただ、散った後の稚児車。
――もっとも、草の斜面にはまだ黄色い花を付けたチングルマの群生や、ニッコウキスゲの群生が見られる。コバイケイソウやハクサンフウロ、カライトソウも目立つ。
雨、というより雨雲の中でまだ雨粒になりきらない水分、と言った方が良いだろうか、身体に時折強めに打ち付けてくる。
だけど、雨具は付けないでこらえる。
気温が高い。20℃は優に越えているだろう。雨が当たって体が冷やされるのが気持ち良い。ムシムシ感を加速する雨具は着ける気になれない。たとえそれがゴアテックスであっても……。
だけれど、下るにつれムワっとした生暖かい熱気が感じられるようになってきた。これから猛暑の下界に昼のうちに下りていかなければならないと思うと、うんざりする。
道はジグザグの下りとなる。やがて、下の方に合流点が見えてくる。南竜道と合流だ。
合流点からは南竜小屋が見えるけれど、進む方向は逆。
多少、道の様子が変わっていることに気付く。山腹の巻き道となり、少々の上り道さえ現れる。また、針葉樹が見られるようになる。
時折、お花畑が現れるのは相変わらず。ガスで見通し利かないのも相変わらず。ただ、雨は止んでくれた。
ほどなく、砂防新道と合流。
一気に人の姿が増える。同方向に向かう下山者たちだ。
道は潅木帯を離れ、樹林帯に突入。ガスが晴れて見通しが良くなってきたものの、代わりに樹木に視界を遮られるようになる。そして、戻ってきた日差しと共に気温も急上昇。
PM2:43、甚之助避難小屋に到着。ここにも大勢のハイカー。
小屋を通過してさらに下っていくものの、下山者の集団につっかえて、なかなかペースが維持できない。バスの時間に間に合うかビミョウだ。眼下に下りていくべき林道が見えているだけに、もどかしい。
途中、水場のある広場があった。また、登山道の付け替え工事を行っている箇所もあった。
花はさすがに減ったものの、時折、センジュガンピやホトトギスが視界の隅を掠める。ガクアジサイも多くなり、登山時に見た花を巻き戻していくかのよう。
不動滝が良く見える場所に来た。ただ、相変わらず下の方にある積み物が余計だ。砂防工事の重要性は分かるけど、せめて見てくれぐらいはどうにかならないものか。
林道の脇の道を過ぎ、公衆トイレも過ぎて、中飯場に到着、そのまま通り抜ける。
どんどん下る。気付くと、空は真夏の青空。汗はひっきりなしに背を伝っている。
――雲上の地は遠くになりにけり。
別当出合の釣り橋が見えている。
尾根先を回り込んで別当谷へ下りていく途中には、遠く、別当出合に停車中のバスが見えた。果たして、あのバスの発車に間に合うだろうか?
ようやく傾斜が緩やかになった。木道も現れ、息を付く。見返すと、白山へと続く緑の稜線が見えていた。――もちろん、山頂部は前山に隠され見ることは叶わない。もし見れたとしても、相変わらず雲の中だろう。
ただ、あの稜線の道が白山の山上まで続いていることを知った。それは、確かに今日の大きな得物に違いない。
そして今、目の前には吊橋が架かっている。その橋桁に、足を踏み出す。
PM3:20、別当出合到着。
――見事、3時半発の金沢駅行き北鉄バスに乗車叶った。すぐにバスは発車。車内は、市ノ瀬駐車場で下りるであろう人たちで満車。楽しげなお喋りが交わされている。
自分は暫し眠ろう……
大きく揺れるバスの中で、心地よくまどろむ。